安井謙太郎には表舞台が最高に似合う
2021年1月13日、とある7人組グループが念願のメジャーデビューを果たした。
"7ORDER"という名前を掲げ、新たなスタートを切った彼らは、
元々ジャニーズJr.のLove-tuneというグループ名で活動していた。
- 安井謙太郎 1991年7月21日
- 真田佑馬 1992年11月21日
- 諸星翔希 1994年10月13日
- 森田美勇人 1995年10月31日
- 萩谷慧悟 1996年11月7日
- 阿部顕嵐 1997年8月30日
- 長妻怜央 1998年6月5日
この7人のなかで特に思い入れがある安井くんについて書こうと思う。
まず初めに、私は当時Love-tuneの誰かを担当していたわけではなく、
現King&Princeの岸優太くんを応援していた。
それでも、当時ジャニーズJr.に担当がいた者として、
安井謙太郎という存在を忘れることはできないのだ。
私がジャニーズに興味を持ち始めたのは2014年の夏から秋にかけて日テレで放送された『近キョリ恋愛~Season Zero~』という深夜ドラマをたまたま見たのがきっかけだ。
それまでジャニーズは全く詳しくなかったし、ましてやジャニーズJr.なんて知らなかった。
安井謙太郎という人物に出会ったのは2014年末、
テレビ朝日で深夜に放送されていた『ガムシャラ!』という番組でMCをしていた。
当時19歳の岸くん目当てで見た番組だったので、
安井くんの第一印象は他のJr.よりも年上なんだろうなということと、
女の子っぽいなということ
あまりこれといった印象は持たなかった。
しかし気づいたころには
安井謙太郎という沼に両足を突っ込んでいた
ガムシャラを見ていくうちに色々と分かってきた。
- 安井くんは他のJr.と比べて年齢が上であること
- トーク力があり、大勢のJr.をまとめることに長けていること
- 番組MCとして出演することが多いこと
- それでも仕事を全うすること
2015年、中3トリオの結成を皮切りにグループが次々と誕生することになる。
安井くんは、仲のいいJr.は居ても、グループには所属していなかった。
そんな時、夏にパフォーマンスバトルと称されてコンサートが行われることが判明した。
2014年の秋、つまり近キョリ出かつクリエ全滅の私にとっては、
初めてのコンサートだった。
オタクの夏~in EX THEATER ROPPONGI~が始まった。
コンサートの趣旨としてはJr.をチーム我、武、者、羅、覇の5グループに分けて競わせるというもので、『ガムシャラ!』の番組連動企画として毎週パフォーマンスの練習風景を少しずつ流してくれた。
ガムシャラや少クラで安井くんを認識し始めて、どこか気になる存在になっていた私にとって、チーム覇での練習風景は安井謙太郎の魅力を自覚するのには十分すぎるくらいだった。
チーム覇
年齢差が目立っていた5人。
はしみずはスノプリから中3トリオまでずっと活動を共にしてきて
あらちかもTravis Japanとして同じグループで活動していた。
年齢はあらちかの方が上だけど、入所ははしみずの方が早い。
ジャニーズの世界では年齢と歴が比例しないことがよくある。
そんな4人と共にチーム覇に所属していたのがさらに年上の安井謙太郎だ。
安井くんにとって際立って仲がいいメンバーは居なかったが、
チーム覇でのまとめ方は圧巻だった。
コミュニケーション不足を指摘されれば敬語禁止令を出し、
(しかも井上瑞稀くんによって敬語禁止令が出たことを知る私たち視聴者、安井くんにスタッフさんが「敬語禁止令を出したって聞いたよ」って言っても否定する謙虚ぶりがまた良い)
インラインスケートを履いて縄跳び50回の練習をしていた時に成功が難しいと気分転換をしようと声をかける
居残りで自主練習をするメンバーがいればあえて声はかけずに一緒に残って練習をした
安井「顕嵐は多分、今日みたいな調子悪い日とかかっこ悪い自分とかって絶対見られたくないタイプだと思うんですよ。お互い見られたくないとかプライドとかもあると思うんですけどそういう姿を見せあえてみんなで共有できるチームでいたいなとは思いますね」
理想のチーム像を明確に持っていて、その理想に近づけるためなら努力を惜しまない。その理想像を共有したのかは分からないけど、5人の息はぴったりでどこよりも仲が良くて楽しそうに見えた。パフォーマンス中も、5人で手を重ねたり抱きあって成功を喜んだり、最後に覇ポーズを揃ってやる5人が大好きになった。チームに対する印象が”最強に仲のいい5人組”になった。敬語で「安井くん」とか言ってた頃が嘘のように思えた。
当初に比べて抜群のチーム力を見せるチーム覇に対して、先生が思わず「優しくっていいね、このチームは」って言った。本当にチーム覇は優しくて温かくて最高だった。
安井くんの「絶対できる!」と宮近の「明るくいきましょう!」に支えられたチームだったんじゃないかなって勝手に思ってる。
年上組ははしみずを可愛がってくれたし、安井くんのことをみんなが謙ちゃんと呼ぶ世界。平和すぎた。見ていて和んだ。他のチームと比べて年齢差は一番あったのに、ほわほわしててぎくしゃくすることがほとんどなかった。
阿部「瑞稀のそういうところが、またかわいいんだよな。オレらも相当仲いいけど、バスケチームもオレらと同じくらい仲いいよな。」
橋本「いやいやいや、オレたちのほうが絶対に仲いい!」
宮近「そう言ってくれるのはうれしいんだけど、涼が最近大人になっちゃって、まえみたいに一緒になって遊んでくれないじゃん。”今は大丈夫。そういう気分じゃない”とか言われるの。それがめっちゃ寂しいんだけど」
井上「でもさ、8月で公演が終わっちゃうじゃない?せっかく仲良くなったのに、終わっちゃうのが悲しい」
阿部「お~、かわいいなぁ。大丈夫だよ!公演が終わっても、またごはん行ったり遊びにいったりしようよ!」
橋本「マジマジ!?じゃ、プール行きたい!」
宮近「あ、今ちょっと昔の涼の顔が見えた(笑)。じゃ、謙ちゃんも一緒に5人で遊びにいこうな!」
チ ー ム 覇 の 雰 囲 気 が 圧 倒 的 に 好 き だ っ た
当時高校生でバイトが禁止だったため、舞台は全て断念していた。
だからこそ、唯一ジャニーズJr.に会える機会だったコンサートは本当に楽しかったし、公演期間中ずっとTwitterで流れるレポを見たり流したりするのは好きな人をリアルタイムで追えている感じがして嬉しかった。
結果としてチーム覇は決勝に残ることはできなかったけど、現場入りした友達は口をそろえてチーム覇の仲の良さに癒されていたし、私もその一人だ。
そんな安井くんに転機が訪れる
2016年 Love-tune 結成
前記した通り、私は安井くんをメインで応援していたわけではない。
だから正確な日にちは分からない。でも、気づけば安井くんの周りには美勇人くん、萩ちゃん、真田くんがいるようになった。嬉しかった。後輩は活動メンバーが固定されたりグループを組ませてもらえているなか、安井くんはなかなか”グループ”というものを手に入れられなかったから。その後ながつ、もろ、顕嵐ちゃんが集まって、Love-tuneは7人組になった。
森田美勇人と阿部顕嵐は元々Travis Japanとして活動していた。
Travis JapanとLove-tune、どちらのグループにも仲間がいてファンがいた。
一時期2人はグループを掛け持ちしていたけれど、結果的には”Travis Japan脱退”という選択をした。
だからLove-tune結成に関して色々な意見があったことも知っていた。
それでも、バンドとアイドルを両立している彼らの魅力について行かないわけがなかった。何より、安井くんがやっと掴んだグループだ。
絶対に壊れてほしくなかった。
2016年のサマステは、Love-tuneとしての出演だった。
これまでの悔しさを全部喜びに変えてギラギラした目でパフォーマンスする姿がすごい好きだった
自分にはこんな仲間が出来たんだぞって言わんばかりに誇らしく立ってる安井くんが、このまま一生幸せでいてほしいって本気で思った
安井くんは番組でトークを回すのが得意だったけど、同じくらいコンサートを盛り上げるのも得意だった。
2016年のサマステで登場曲にKis-My-Ft2のテンションを選曲したときは天才かと思った。「We are L O V E T U N E」「六本木、騒ぐぞこの野郎!!!!!!」「俺たちが、Love-tune!!!」震えた。この人たちはお客さんを盛り上げることに長けすぎていると思った。ジャニーズJr.はみんなデビューを目指す”ライバル”だから、怖いとも思った。でもそんなことより”安井謙太郎”がジャニーズJr.でいてくれて本当に良かったという気持ちの方が強かった。
だって、安井謙太郎にはジャニーズ曲が良く似合う。
少クラでは様々な曲を披露してくれた
運命ガール、LOST MY WAY、枯葉の影、明日へのYELL、Heavenly Psycho、FIRE BEAT、レスキューレスキュー、Masterpiece、Crystal Sky、MU-CHU-DE 恋してる、Black & White...........書ききれないし正直覚えきれていない。先輩の曲だけじゃなくオリジナル曲だって貰って披露していた。
バンドという強みはあったけど、偏ることがなくパフォーマンスをしていたLove-tuneだからこそ、先輩の曲でも自分たちの色を入れて歌い上げるのが上手だった。
今となっては幻になってしまったあの時代、
黄金期として語られることもある。
全員が生き残りをかけて、必死だった。
だからいろんなJr.が新しいことを始めようとしていたし、
きっとどのグループも”自分たちらしさ”を模索していたように思う。
そのなかでLove-tuneは自己プロデュース力や魅せ方に秀でていた。
私が安井くんがいるLove-tuneを贔屓目で見ていたのかもしれない。
他担と言いつつ、一番に応援していたのかもしれない。
安井謙太郎には何か光るものが、特別な魅力があった。
2017年、私は岸担を降りた。
ジャニーズからも距離を置くようになった。
2018年、YouTube配信が始まるということを風の噂で聞いた。
Love-tuneは、その5グループのなかに名前はなかった。
(そんななか始まったYouTube配信でたまたま見かけた ”かっこよくてクールで目を離したら変な動きをしている大学生みたいな男の子” 作間龍斗くん(HiHi Jets)が私の頭の中を占拠することになるのはまた別の話。)
2018年11月30日 Love-tune退所報告
Love-tuneの名前を、こんな形で聞くことになるなんて想像もしてなかった。
ただただ唖然とした。信じられなかった。だって、私が知ってる安井くんは、あんなに楽しそうに仲間と笑っていた。安井くんには、ジャニーズが天職だと勝手に思っていた。永遠なんて言葉は、脆すぎる世界では通用しなかった。
新しい場所で生まれ変わった7人。”7ORDER”という名前。
沢山のJr.がいて、グループの括りを超えてトークしたりパフォーマンスしたりして、
その中にいる安井くんとか、チーム覇の最年長として立派にチームを引っ張ってた安井くんとか、Princeとニコニコ笑いあっている安井くんとか、Jr.をまとめる立場としてMCで大活躍した安井くんとか、「今日は俺も企画に参加します!」って嬉しそうに風船爆破してる安井くんとか、らじらーで楽しそうに話す安井くんとか、
そういう大事だった景色がもう二度と見れないという現実を突き付けられた。
全然頭が付いて行かなかった。
目の前の現実を信じたくなかった。
今でも安井くんには、また先輩の曲やLove-tune時代のオリ曲を歌ってほしいと願ってしまうし、昔の少クラを見返しては当時を思い出す。こんな勝手な他担を許してほしい。
決して叶うことはないと分かってる。
今となってはもう全てが幻になってしまったのだ。
でも間違いなく、安井謙太郎はジャニーズJr.として、
そしてLove-tuneとして、存在していた。
その事実だけは決して消えることはないし、消したくない。
きっと計り知れないほど色々あったと思うし、
もしかしたら、たくさん傷ついて絶望したかもしれない。
年齢に対して遅い入所で苦労も多かったかな。
それでもたくさんの後輩を引っ張って彼は最後までエンターテイメントを届けてくれたし、今でも届け続けてくれている。
安井くんの進む道がどうか幸せで溢れていますように。
ジャニーズJr.でいてくれて、Love-tuneを引っ張っていってくれて、今でも7人でいてくれて、本当にありがとう。これからの人生に幸多からんことを。